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探索7日目

フェリューギフ・A・ルトルクアフという男(長い名前だ)からは、肉だんごを草の葉で包んだものを貰った。
20代後半から40前くらいのどれであっても納得しそうな槍使いの青年(名前は未だに覚えていない)からは、東国の穀物を茹でて押し固めたものを貰った。
どちらも男性なのに、やたらと小器用に料理を作っていた。同行者達からの評判もまずまず
のようだった。


確かに食事は冒険や戦争時、士気を大きく左右する。三大欲求の一つというだけあり、ただの栄養補給では補えないものがあるのだろう。味覚というものは本当に大事だ。

比べて二番隊の獣人・イグニスの作る料理は、評判が今ひとつのようだった。
料理と言っていいのか、それはごくごく小さく固められた固形物であることが多かった。
飴玉のようなことも、森エルフのレンバスに似たもののこともあり、食料というより固形飼料のようだった。
ジャンニがぼやいていたのが視界の隅に入ったが、気持ちは分からなくもない。
本人も料理と思わず、栄養補助食品のようなものだと公言して憚らない。
だが、個人的には彼の料理は有り難かった。



大分前から、私には味覚がなかった。



食事の時間は緩やかな拷問に近かった。
味の楽しみがない「もの」をかみ砕いて水で流し込む。それが私の「食事」だ。
酷い熱が出たときに無理に食べる食事、あれに近い。つまりは体内に異物を取り入れ、かみ砕き、消化を待つ。
それが日に二度、時には三度。毎日。何年も。どれほどの苦痛かお分かり頂けるだろうか。

余りの辛さに食事を抜いたこともあったが、勿論結果はどうなったかは言うまでもないだろう。
むしろそれで消耗した身体を回復させるための食事は、更に辛かった。
食事に誘ってきたり、差し入れを寄越したりする者には、本人に何も罪がないのにもかかわらず、そこはかとない嫌悪感を抱くようにすらなった。

不思議なことに、酒や果汁、水といった飲料物はごく普通に摂れる上に苦痛がないので、半ば精神的なものなのだという見当は付いていた。
そして、見当が付いていてもどうしようもなかった。
だからイグニスの料理……というよりも携帯食は逆に有り難かったのだ。経口するのは最低限で済むからだ。



今日も夕飯の時間はどうにか終わりを告げた。
味覚がないなどと話しても仕方がない上に、正直面倒なので、同行者たちには伝えていない。
いずれ食事の度に機嫌が悪いなどと思われるのだろう(この状況下で機嫌が良くなる人間がいたら教えて貰いたいが)。

とはいえ胃に入れば胃酸は出るので、最近思い付いた負担の軽減は煙草だった。紙巻きでなく、細い葉巻。胃酸が出るときに吸うのが一番心地よいからだ。
最初の子を出産する時以来、久しぶりの感覚だった。味も確かに感じ取れていた。
葉巻の匂いにはクセが少しあるので、自然と皆から少し離れて吸うようになった。

ラッパー(外側の葉)が解けないように、一気に小さなナイフで切って吸い口を作る。
じっくりと回すように火を付け、燻らす。
野営中の夜気に、紫煙が溶けていく。
穏やかな見張りの時は、大分前に忘れてしまった食事の安らぎにほど近かった。
Valkoinen Kuolema がやって来るまでの、小さな安らぎだった。



大分前から、私からは味覚が失われていた。
あの日あの時から、味覚が失われていた。
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